雨が降ると思い出す不朽の名作

先日、久方ぶりに羽田空港へ行った。

 

着いたのは昼頃だったが、陽の光は淡白で、朝方より降り始めた雨は止むことなく、空気は冷たさでピンと張りつめ、吐く息は白かった。

 

ターミナルへと向かうビジネスマンたちの雰囲気はどこか陰鬱で足取りは鈍く、一方、旅行からの帰途であろう家族やカップルたちは、早く暖かい家に着き、「楽しかったね」、「やっぱり我が家は落ち着くね」なんて呟きたいのだろうか、少し早い足取りで、バス乗り場や駅の改札口へと向かっていた。
オイラが初めて空港を訪れたのは、たしか7、8歳の頃だったと思う。
初めての飛行機。そして家族揃って出掛けた、最初で最後の海外旅行だった。
(死別したわけでは無く、みなそれぞれの場所でピンピン元気にやっていますよ)

 

季節は春だったのか夏だったのか。何時のフライトだったのか。
いまいち記憶は曖昧だが、成田へ着き、すぐにレストランで早い夕食を取ったときには、窓外はまだ灰色の方が強く、空は黒く染まっていなかった。夕方であったのだろう。

 

強い雨が降りつけ、ときおり稲光が走っていた。

 

レストランの大きな窓ガラスは分厚く、雨音や雷鳴が店内へ届くことはないので、オイラはその何年後かに初めてサイレント映画を見たときのように、風景に想像の音を付け足す遊びに耽った。

 

アスファルトで爆ぜる雨粒。水の紗幕を切り裂いて飛び去るジャンボ機。

 

そんな景色に音を当てはめ、あるいは、雨で煙る滑走路や、誘導灯の滲む点滅をただ眺めていたら、子どもだったオイラは妙に旅情を掻き立てられ、それ以来、空港はいちばん雨の似合う場所として心に刷り込まれている。
オトナになった子どもはいま、エステへ遊びに出掛ける。

 

遊びへ出るときの雨は、正直、鬱陶しい。
ただそれでも心と体に潤いが欲しくなれば傘をさして出てゆくし、そういえば、過去三度の訪問すべての日が雨降りだった、なんて店もあった。
通常、我々のよく向かうマッサージ店やエステ店てのは、昼だろうと夜だろうと、外界の景色を遮断している。
客はほぼ、または完全に裸だし、時には従業員も・・・・・なわけだから、当然だ。
だから窓外に降る雨を眺めながら施術を受ける、なんてことは考え難いだろう。

 

加えて高級マンションの一室で開業しているお店などは、その防音性能の高さから、耳で雨音を楽しむなんてこともできず、外に出るまで天気のことなど忘れて過ごせるかもしれないし、それはそれで悪くない。
オイラが行った「雨降りの店」は、外装も内装もすべてが安普請に写る華系店で、狭く薄暗い店内に三つの半個室と施術台が並び、入口はカーテン仕切り、BGMはお決まりのテレサ・テン、なんて場所だ。

 

初めて訪れた日の雨はとても強く、入店時には建物を打つ雨の音が店内によく響いていたが、施術が始まれば、それはテレサに掻き消された。

 

ところが次に訪れた際には、何故かテレサはかからず、比較的おとなしく優しい雨音が施術のBGMになった。
サーッという広がりのある音に、庇に溜まって重量を増した水滴が落下する、ポタッ、という音が混ざり、ひとつのリズムになっているようだった。

 

いつも担当してくれる熟セラピさんは日本語が不得意で寡黙だから、互いに口を開かない。
そして会話が無いから雨音が一層際立ち、いつの間にかセラピストの両手が雨音のリズムに乗っているような感じがして、面白かった。
施術の最後では、一点を這うセラピストの指使いに、どうしてもBGMは記憶から剥がれ落ちてしまうのだが、すべてが終わったあと、入店した際と同じ雨音がゆっくりと耳に染み渡り、徐々に満たされるのも心地よい。
場末な店には、優しい雨音がよく似合う。
そんな刷り込みも一瞬は生まれたが、その後似た雰囲気の店で出会った熟れセラピたちの中には、雨音がもたらす風情など木端微塵に吹き飛ばす女も多かったのは事実であり、そのトラウマを掻き消すには、優しい雨音のボリュームはあまりに小さかったのもまた、事実なのであった。

 

オイライダー氏ブログより

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